東京駅の八重洲は家康に仕えたオランダ人の名前|名前は駅の反対側から引っ越した

答え
東京駅の「八重洲」は、1600年に大分に流れ着き、徳川家康に仕えたオランダ人ヤン・ヨーステン(日本名 耶揚子)の名にちなむとされます。ただ百科事典によると、屋敷は今の八重洲ではなく駅の反対側、皇居の内堀の脇。明治の「八重洲町」も今の丸の内の側にあり、1929年に丸の内に改められていったん消え、1954年に駅の東側の町名として戻りました。
出典:
・コトバンク「八重洲」(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・デジタル大辞泉) https://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E9%87%8D%E6%B4%B2-647536
・コトバンク「ヤン・ヨーステン」(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典ほか) https://kotobank.jp/word/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B3-144518
・東京都教育委員会「八重洲散策コース|東京都文化財めぐり」 https://www.syougai.metro.tokyo.lg.jp/bunkazai/week/chuo/
錦絵:広重「東京名所八代洲町警視庁火消出初階子乗之図」(明治9年)国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307304
切絵図:尾張屋清七「大名小路神田橋内内桜田之図」(嘉永2年)東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000013-00042700
地図:Natural Earth/東京23区の形:国土数値情報(国土交通省)。屋敷・町・堀の位置と範囲、船の線はおおよそです。
VOICEVOX:青山龍星
効果音:効果音ラボ
動画で見る(YouTube・約1分)動画
動画で言ったことと、その根拠
動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。
東京駅のこの地名は、ある外国人の名前から来ているとされる
根拠:「徳川家康に仕えた、漂着のオランダ人高級船員ヤン・ヨーステンの屋敷があり(現、千代田区の皇居内堀脇)、それがなまって地名となった」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
1600年、オランダの船、リーフデ号が、今の大分県臼杵市に流れ着いた
根拠:「1600年(慶長5)4月豊後(ぶんご)国佐志生(さしう)(大分県臼杵(うすき)市)に漂着した」(ヤンヨーステン(やんよーすてん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
乗っていたオランダ人、ヤン・ヨーステンは、徳川家康に招かれて江戸へ行く
根拠:「徳川家康の招きで江戸に出、アダムズとともに家康の外交・貿易の顧問となり」(ヤンヨーステン(やんよーすてん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
家康の外交と貿易の相談役になり、江戸に屋敷をもらった
根拠:「ヤン・ヨーステンは江戸に居宅を与えられ」(ヤンヨーステン(やんよーすてん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
日本名は、やようす
根拠:「耶揚子(やようす)ともいう」(ヤンヨーステン(やんよーすてん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
屋敷のそばの堀ばたは、彼の名に近い音で、やえすがしと呼ばれたという
根拠:「ヤン・ヨーステンの屋敷があったため,その名に近い発音で八代洲河岸,または八重洲河岸と呼ばれるようになったという」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
ただ、屋敷があったとされるのは、今の八重洲ではない
根拠:「屋敷とされる地は千代田区側の日比谷(ひびや)の堀端(現皇居の内堀脇)にあり、八重洲の地名ももとは千代田区側にあった」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
百科事典によると、駅の反対側。皇居の堀のすぐ脇だ
根拠:「ヤン・ヨーステンの屋敷があり(現、千代田区の皇居内堀脇)」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
1872年、屋敷があったこの辺りが、八重洲町と名付けられる
根拠:「1872年(明治5)内堀と外堀(現在の外堀通り)に挟まれた現在の東京駅西側、千代田区丸の内地区の一部が八重洲町1~2丁目となった」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
1914年、その八重洲町のとなりに東京駅ができた
根拠:「1914年(大正3)八重洲町に接して東京駅が開業」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
入り口は皇居の側だけだった
根拠:「当初は、皇居に面した丸ノ内側だけ駅舎が建てられ」(八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり)
1929年、八重洲町は丸の内に名前が変わり、八重洲の地名はいったん消えた
根拠:「1929年(昭和4)八重洲町一帯が丸の内と改称、八重洲の地名はいったん消滅した」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
同じ年、駅の東側に初めて改札口ができる。これが八重洲口だ
根拠:「昭和四年に初めて東側に改札口が設置され、以後東側口(八重洲口)」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
戦後、駅の東の堀が埋め立てられ
根拠:「戦後、外堀が埋め立てられ」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
1954年、駅の東側の町に八重洲の名前が戻った
根拠:「1954年(昭和29)鉄道会館が竣工(しゅんこう)…同年にはかつて八重洲橋で結ばれていた中央区の町名改正で東京駅東側に八重洲の町名が復活」(八重洲(ヤエス)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
ヤン・ヨーステン本人は1623年、オランダに帰れず、日本へ引き返す船が難破して亡くなった
根拠:「生没年:?-1623…22年,東インド会社の船での帰国を願い出,総督も許可していたが,バタビアでの交渉が進まず,日本に引き返す途中,難破し溺死した」(ヤンヨーステン(やんよーすてん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)