伊達政宗の長男は四国の殿様に(仙台を継がず宇和島10万石・四国の伊達家)

日本史の地図のショート動画(2026-10-29 公開)の解説・出典は 2026-10-29 に確認

伊達政宗の長男は四国の殿様に(仙台を継がず宇和島10万石・四国の伊達家)(動画の最初の画面)

答え

伊達政宗の長男・秀宗は、6歳のとき豊臣秀吉の猶子(形の上の子)となり、豊臣の姓も授けられました。仙台を継いだのは次男の忠宗で、2代将軍・徳川秀忠の養女と結婚しています。秀宗は1614年、父とともに大坂冬の陣に出陣し、その功で伊予の宇和郡10万石(今の愛媛県)を与えられました。1615年に入ったとき町は板島と呼ばれていて、「宇和郡」の「宇和」と「板島」の「島」をとって宇和島と名付けたと思われる、と愛媛県の資料にあります。宇和島の伊達家は明治維新まで9代、仙台の伊達家は14代続きました。長男が仙台を継がなかった理由を書いた出典は確かめていないため、理由は言っていません。

動画で見る(YouTube・約1分)

動画

動画で言ったことと、その根拠

動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。

伊達政宗の長男

根拠:「伊達政宗の長男。」(伊達秀宗(だて ひでむね)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

6歳で秀吉の猶子

根拠:「慶長元年6歳で豊臣秀吉の猶子となる。」(伊達秀宗(だて ひでむね)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

豊臣の姓も授けられた

根拠:「豊臣の姓を授けられた。」(伊達秀宗(だて ひでむね)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

仙台を継いだのは次男の忠宗

根拠:「伊達政宗の次男。2代将軍徳川秀忠の養女振姫と結婚,寛永13年陸奥(むつ)仙台藩主伊達家2代。」(伊達忠宗(だて ただむね)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

2代将軍・徳川秀忠の養女と結婚した

根拠:「2代将軍徳川秀忠の養女振姫と結婚」(伊達忠宗(だて ただむね)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1614年、秀宗は父と大坂冬の陣に出た

根拠:「19年父政宗とともに大坂冬の陣に出陣」(伊達秀宗(だて ひでむね)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

その手柄で与えられたのが、伊予の宇和郡10万石

根拠:「その功により徳川秀忠から伊予(いよ)(愛媛県)宇和郡10万石をあたえられ」(伊達秀宗(だて ひでむね)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

今の愛媛県

根拠:「伊予国(愛媛県)宇和郡地方を領有した外様(とざま)藩。」(宇和島藩(うわじまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1615年に秀宗が入ったころ、町の名は板島だった

根拠:「1615年(元和元年)に伊達秀宗が当地に入部した時は…板島の町と呼ばれていたが」(ehime-uwajima)

宇和島という名は、このとき付けられたと考えられている

根拠:「「宇和郡」の「宇和」…とり宇和島と名付けたと思われる。」(ehime-uwajima)

明治維新まで9代続いた

根拠:「以後は明治維新まで伊達氏による藩政が9代続いた。」(宇和島藩(うわじまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

仙台の伊達家は14代

根拠:「以来廃藩まで伊達氏14代が続いた。」(仙台藩(せんだいはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

かつての領主の藤堂高虎が築いたものだった

根拠:「95年(文禄4)藤堂高虎が領主となり,高虎は板島丸串城を本城として築城した。」(宇和島藩(うわじまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1618年から17年間、秀宗は10万石のうち3万石を、父・政宗の隠居の費用に回している

根拠:「1618~1635年(元和4~寛永12)秀宗は政宗の隠居料として3万石を割き」(宇和島藩(うわじまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

出典

画像・音声の出典

肖像:国立国会図書館『肖像集』(伊達政宗)

絵図:国立国会図書館『日本古城絵図』豫州宇和嶋城図

衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth/宇和郡の範囲は国土数値情報(行政区域1920年)の東西南北宇和郡を加工したおおよその範囲。印・線の位置はおおよそ。家系図は主な人だけです

VOICEVOX:青山龍星

効果音:効果音ラボ

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