秀忠の隠し子・保科正之はどこへ(高遠3万石→会津23万石、会津藩の初代)

日本史の地図のショート動画(2026-10-28 公開)の解説・出典は 2026-10-28 に確認

秀忠の隠し子・保科正之はどこへ(高遠3万石→会津23万石、会津藩の初代)(動画の最初の画面)

答え

2代将軍・徳川秀忠の子として1611年に生まれた保科正之。母は側室のお静で、その生まれははばかられ、7歳のとき秀忠のひそかな命令で信濃の高遠藩主・保科正光の養子になりました。1631年に高遠3万石を継ぎ、1636年に出羽の山形20万石、1643年に陸奥の会津23万石へ。3代将軍・家光の腹違いの弟で、1651年に家光が亡くなると、その遺言で幼い4代将軍・家綱を支えました。将軍の弟でも家の名は保科のままで、松平の名と葵の紋を許されたのは3代目の正容のときです。正之が書いた家訓には将軍家に忠実であれという決まりがあり、この家の9代目の藩主が、戊辰戦争で新政府軍と戦った松平容保です。

動画で見る(YouTube・約1分)

動画

動画で言ったことと、その根拠

動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。

2代将軍・秀忠の隠し子

根拠:「2代将軍徳川秀忠の四男」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1611年に生まれた男の子

根拠:「(1611―1672)」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

母は側室のお静で、その生まれは表に出せなかったとされる

根拠:「母は秀忠の側室神尾(かんお)氏お静、その出生をはばかり」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

7歳のとき

根拠:「その出生をはばかり7歳のとき信濃(しなの)国(長野県)高遠(たかとお)藩主保科正光の養子となり」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

秀忠のひそかな命令で

根拠:「秀忠の密命で保科正光の養子となった」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1631年、保科家を継いだ

根拠:「1631年(寛永8)養父正光の遺領3万石を継ぐ」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

今の長野県伊那市

根拠:「信濃国伊那郡高遠(現長野県伊那市)を城地とした藩」(高遠藩(たかとおはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

小さな藩

根拠:「伊那郡高遠に藩庁を置いた譜代小藩」(高遠藩(たかとおはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

3万石

根拠:「養父正光の遺領3万石を継ぐ」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

3代将軍・家光は、腹違いの兄

根拠:「3代将軍徳川家光の異母弟」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1636年、出羽の山形20万石へ。そして1643年

根拠:「1636年出羽(でわ)山形藩20万石、1643年3万石を加増され会津23万石となった」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

今の福島県の会津、23万石

根拠:「陸奥(福島県)会津藩23万石」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

高遠の3万石から、8倍近く

根拠:「1643年3万石を加増され会津23万石となった」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1651年、兄の家光が亡くなると、その遺言で

根拠:「1651年家光の死後,その遺命で新将軍家綱の後見として幕政を担当」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

幼い4代将軍・家綱を支える役

根拠:「4代将軍徳川家綱の補佐として」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

幼い

根拠:「遺言によって幼少の将軍家綱(いえつな)の後見として幕政に参与」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

将軍家に忠実であれ、という決まりが入っていた

根拠:「responsible for writing a set of official rules for the Aizu domain, which included…remaining」(mlit-654365)

代目の藩主

根拠:「九代藩主松平容保(まつだいらかたもり)公」(<国指定文化財>会津藩主松平家墓所(院内御廟) | 会津若松市)

戊辰戦争で新政府軍と戦った

根拠:「led the Aizu domain through the Boshin…imperial forces surrounded Tsuruga Castle」(mlit-654365)

家の名は保科のまま

根拠:「3代正容 (まさかた) 以後保科氏は代々松平氏を称し」(会津藩(あいづはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

松平の名と葵の紋を許されたのは、3代目の正容のとき

根拠:「3代正容(まさかた)のとき松平姓と葵(あおい)紋を賜」(会津藩(あいづはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

将軍の弟

根拠:「3代将軍徳川家光の異母弟」(保科正之(ホシナマサユキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

出典

画像・音声の出典

錦絵:月岡芳年「徳川十五代記略 秀忠公女使を送り給ふ図」(明治8年)東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ(パブリックドメイン)。画家の想像の絵です

錦絵:月岡芳年「大日本名将鑑 徳川家光公井伊掃部頭」(明治11年)東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ(パブリックドメイン)

肖像:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(松平容保)

衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地形:ASTER GDEM(NASA/METI、NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth/国の範囲は国土数値情報(行政区域1920年)を加工したおおよその境界。印・線の位置はおおよそ。家系図は主な人だけです

VOICEVOX:青山龍星

効果音:効果音ラボ

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