日本橋のど真ん中に魚市場が313年|築地→豊洲 東京の魚市場の引っ越し地図

答え
東京の魚市場は、江戸時代の初め(1610年)に日本橋で始まり、1923年の関東大震災のあと築地へ、2018年に豊洲へ移りました。日本橋に313年、築地に83年。江戸の古地図・錦絵・昔と今の空中写真で、3か所の引っ越しをたどります。
出典:
・国土交通省 地域観光資源の多言語解説文データベース「豊洲市場の歴史」(書き手:東京都中央卸売市場・豊洲市場協会) https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R3-00557.html
・東京都中央卸売市場「沿革」 https://www.shijou.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/shijou/shijouchronology
錦絵:国安「日本橋魚市繁栄図」国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1305580
錦絵:歌川広重「東都名所 日本橋魚市」「東都名所 佃嶌」・錦朝楼芳虎「東京日本橋風景」/絵葉書:「日本橋 大正12.9.1 東京大震災実況」「商業の中心日本橋大通りの惨状」「東京市魚市場店舗其ノ二」「東京市魚市場桟橋」(東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ、国立国会図書館デジタルコレクション)
古地図:江戸切絵図「日本橋北神田浜町絵図」「築地八町堀日本橋南絵図」国立国会図書館デジタルコレクション
空中写真:国土地理院(1936〜42年ごろ・今)/地図:Natural Earth・ASTER GDEM(NASA/METI)/東京23区の形:国土数値情報(国土交通省)。市場の位置・範囲・線はおおよそです。
VOICEVOX:青山龍星
効果音:効果音ラボ
動画で見る(YouTube・約1分)動画
動画で言ったことと、その根拠
動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。
日本橋のど真ん中に、魚市場が300年以上あった
根拠:「築地以前の東京の魚市場は、商業の中心地である日本橋に拠点を置いていた…1610年、徳川は森孫右衛門の息子に…全てが変わったのは1923年:マグニチュード7.9の関東大震災が発生し」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
魚市場が【300年】
根拠:「1610年、徳川は森孫右衛門の息子に…全てが変わったのは1923年」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
今の豊洲市場につながる、東京の魚市場の始まりだ
根拠:「築地以前の東京の魚市場は、商業の中心地である日本橋に拠点を置いていた。1600年代初頭、徳川幕府(1603-1867)が江戸と呼ばれていたこの街を本拠地とし、日本の事実上の首都とした直後に、ここにもともと魚介類の市場が誕生したのだ」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
家康は幕府を開く10年ほど前、大阪から34人の漁師を江戸に呼んだ
根拠:「徳川家康(1543-1616)は、天下統一・幕府設立を成し遂げる10年ほど前に、江戸城の徳川家や家臣たちに魚を供給するために、34人の漁師たちを大阪から江戸に呼び寄せた」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
1610年、その漁師の子が、余った魚を町の人に売る権利を得た。日本橋魚河岸の始まりとされる
根拠:「森孫右衛門という人物を筆頭とする彼らは日本橋の海岸に拠点を置いていた…1610年、徳川は森孫右衛門の息子に、幕府が必要とする以上の魚介類を一般の町人に販売する権利を与えた。これが日本橋魚河岸の始まりとされている」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
1600年代半ばには全国の魚が集まる中心地になり、200年ほど続いた
根拠:「1600年代半ばには、日本橋魚河岸は全国の水産物取引の中心地として繁栄していた。そして、その地位は200年ほど続いた」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
明治、日本橋にデパートや証券取引所が建ち、臭う魚河岸を外せという声が出たが、数十年決まらなかった
根拠:「商業の中心地であった日本橋には、デパートや東京証券取引所ができ、臭いの気になる魚河岸を中心地から外すべきだという声が高まった。しかし、広大な市場の移転は困難であり、解決策が見つからないまま数十年が経過していた」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
1923年、関東大震災。地震と火事で、魚市場は壊れた
根拠:「全てが変わったのは1923年:マグニチュード7.9の関東大震災が発生し、10万人以上の犠牲者が出た。この地震と火災により、魚市場をはじめとする東京のインフラの多くが破壊された」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
その年の12月、日本橋のすぐ南、築地に仮の魚市場が置かれた
根拠:「12月…9月の関東大震災によって日本橋市場及び神田多町を初め多くの青果市場が焼失し…応急施設として、臨時市設魚市場(築地)」(shijou-chron)
築地は1657年の大火のあと、漁師たちが埋め立てた土地だった
根拠:「ここの地名は、1657年に江戸の3分の2を焼失した後、隅田川の三角州の一部を埋め立てて築地を造ったことに由来する。徳川幕府が江戸に召集した漁師たちが行った埋め立て作業であった」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
1935年、築地市場が正式に開場。やがて世界最大の魚市場と呼ばれた
根拠:「1935年、築地市場は、青果市場、鉄道駅、埠頭などを備えた耐震性の高い最新の施設としてオープンし、成功を収めた。戦後、その取引量は日本経済と同様に右肩上がりだった。築地は世界最大の魚市場に成長し」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
1935年、築地市場が正式に開場
根拠:「10年 2月…築地本場青果部、鳥卵部、魚類部(淡水魚のみ)は、東京市中央卸売市場として業」(shijou-chron)
だが1963年、東京の人口は1000万人を超え、500万人向けの築地は手狭になった
根拠:「1963年、東京都の人口は1000万人を突破した。500万人規模の都市のための施設である築地では、水産物や農産物の取引量が際限なく増え続け、キャパシティ問題が深刻化した」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
移転先が決まるまで、また数十年。2001年に合意したのが豊洲だ
根拠:「築地市場の移転先に関する結論が出るまでには数十年の歳月が必要だった。江戸の漁師たちが網を張っていた東京湾の浅瀬に、関東大震災で倒壊した建物の瓦礫を埋め立てて作った埋め立て地である豊洲が合意されたのは、2001年のことだった」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
豊洲は、江戸の漁師が網を張っていた浅瀬を、震災のがれきで埋め立てた土地だ
根拠:「江戸の漁師たちが網を張っていた東京湾の浅瀬に、関東大震災で倒壊した建物の瓦礫を埋め立てて作った埋め立て地である豊洲」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
2018年、豊洲市場が開場。日本橋の魚河岸で生まれた会社が、今も豊洲にある
根拠:「2018年には豊洲市場がようやくオープンし…日本橋魚河岸で創業した企業が豊洲でも営業を続けている」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)
日本橋に313年、築地に83年。豊洲は、まだ8年
根拠:「豊洲市場は、1935年に開場し、2018年に閉場するまで…1610年、徳川は森孫右衛門の息子に…全てが変わったのは1923年」(豊洲市場の歴史|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース)