小田原の北条家のその後|秀吉に降伏した一族は大阪狭山で明治まで殿様

答え
小田原の北条家は、1590年に豊臣秀吉に降伏し、当主の氏直は高野山へ送られ、父の氏政は責任を取って自ら命を絶ちました。氏直は翌年30歳で亡くなり、戦国大名としての北条家はここで終わります。ところが一族には、氏直の叔父・氏規がいました。小田原攻めで韮山城を守り、徳川家康の勧めで城を明け渡した氏規は、落城後に高野山へ入りますが、秀吉に呼び出されて河内(今の大阪府)に領地を与えられます。その息子の氏盛は氏直の養子でもあり、2人の領地を継いで狭山藩の初代藩主に。1616年に2代の氏信が河内狭山(今の大阪府大阪狭山市)に陣屋を建て、北条家は河内と近江に1万石余りを持つ小さな藩として12代続き、1869年(明治2年)に12代の氏恭が藩知事を辞任して堺県に合併されるまで、狭山の殿様でした。11代の氏燕は凍り豆腐の専売制を行っています。
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動画で言ったことと、その根拠
動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。
小田原城で豊臣秀吉に降伏
根拠:「のち豊臣秀吉に小田原城を包囲攻撃され、降伏して高野山に追放。」(北条氏直(ホウジョウウジナオ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
1590年
根拠:「天正18年(1590)に豊臣秀吉が、北条氏を攻略した際に」(神社・仏閣等 - 神奈川県ホームページ)
明治まで殿様として続いた
根拠:「12代氏恭は1869年(明治2)廃藩置県を待たず藩知事を辞任、堺(さかい)県に合併された。」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
氏直は高野山へ送られ
根拠:「時の城主、五代氏直は高野山に追放され」(神社・仏閣等 - 神奈川県ホームページ)
父の氏政は責任を取って自ら命を絶った
根拠:「父氏政と弟氏照の両人は責任を負って自刃しました。」(神社・仏閣等 - 神奈川県ホームページ)
氏直は翌年、30歳で亡くなった
根拠:「18年豊臣秀吉の小田原攻めに降伏し高野山に追放された。天正19年11月4日死去。30歳。」(北条氏直(ホウジョウウジナオ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
翌年
根拠:「高野山へ追放され、その翌年に亡くなる。」(odawara-godai)
戦国大名の北条家は、ここで終わった
根拠:「約100年にわたる北条五代による関東支配…は終わりを告げ、戦国時代が終焉を迎えた。」(odawara-godai)
氏直の叔父、氏規
根拠:「82年(天正10)甥氏直と徳川家康との講和の使者となり」(北条氏規(ほうじょううじのり)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
氏規
根拠:「1545年(天文14)に戦国大名北条氏康(うじやす)の五男として誕生。」(北条氏規(ほうじょううじのり)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
韮山城を守り、徳川家康の勧めで城を明け渡していた
根拠:「秀吉の小田原攻めでは韮山城をまもったが,徳川家康の勧めで開城。」(北条氏規(ほうじょううじのり)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
氏規も高野山に入ったが、秀吉に呼び出され、河内
根拠:「小田原落城後高野山に赴いたが,秀吉に召し出され,河内国で6980石余を宛て行われた。」(北条氏規(ほうじょううじのり)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
河内、今の大阪府に領地をもらった
根拠:「19年秀吉から河内(かわち)(大阪府)に所領をあたえられた。」(北条氏規(ほうじょううじのり)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
氏規の息子の氏盛は、氏直の養子でもあった
根拠:「初代藩主北条氏盛(うじもり)は小田原城主北条氏直(うじなお)の養子で」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
氏規の息子の氏盛
根拠:「嫡男氏盛が狭山藩(さやまはん)北条氏を継承している。」(北条氏規(ほうじょううじのり)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
領地を継いで、狭山藩の初代の殿様になった
根拠:「初代藩主北条氏盛(うじもり)は小田原城主北条氏直(うじなお)の養子で、小田原役後の1591年(天正19)氏直の遺領下野(しもつけ)国(栃木県)内4000石を、1600年(慶長5)実父氏規(うじのり)の遺領河内国6900石を継ぎ」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
1616年、2代の氏信が狭山に陣屋
根拠:「1616年(元和2)2代氏信(うじのぶ)が河内狭山(大阪府大阪狭山市)に陣屋を建て、本拠を大坂久宝寺(きゅうほうじ)町(大阪市中央区)から移した。」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
今の大阪狭山市
根拠:「河内国、狭山(現:大阪府大阪狭山市)に陣屋を置き」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
氏直が亡くなってから25年
根拠:「小田原役後の1591年(天正19)氏直の遺領…1616年(元和2)2代氏信(うじのぶ)が河内狭山(大阪府大阪狭山市)に陣屋を建て」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
河内と近江の中に、あわせて1万石余り。小さな藩
根拠:「河内(かわち)(大阪府)、近江(おうみ)(滋賀県)両国内に1万石余を領有した譜代(ふだい)小藩。」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
12代続き
根拠:「氏恭(うじゆき)と12代にわたり在封。」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
1869年、明治2年に藩知事を辞めて、堺県に合併された
根拠:「12代氏恭は1869年(明治2)廃藩置県を待たず藩知事を辞任、堺(さかい)県に合併された。」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
11代の殿様の氏燕が、藩の専売にした
根拠:「11代氏燕は凍り豆腐の専売制を実施したが」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
明治まで殿様
根拠:「寛文1 (1661) 年北条氏宗1万石に始り廃藩置県にいたる。」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
凍り豆腐
根拠:「11代氏燕は凍り豆腐の専売制を実施したが」(狭山藩(さやまはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
出典
- 神奈川県「北条氏政・氏照の墓所」 https://www.pref.kanagawa.jp/docs/m2g/cnt/f533448/p1203019.html
- 小田原市サイト掲載「北条五代」パンフレット(北条五代観光推進協議会) https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/units/536700/1-20220525110935.pdf
- コトバンク「北条氏直」(日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典・日本人名大辞典 ほか) https://kotobank.jp/word/北条氏直-14948
- コトバンク「北条氏規」(日本大百科全書・世界大百科事典・日本人名大辞典) https://kotobank.jp/word/北条氏規
- コトバンク「狭山藩」(日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典・デジタル大辞泉プラス) https://kotobank.jp/word/狭山藩 (2026年10月27日に確認)
画像・音声の出典
肖像:国立国会図書館デジタルコレクション『肖像集』6(北条早雲、保護期間満了) https://dl.ndl.go.jp/pid/13701254/1/10
衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地形:ASTER GDEM(NASA/METI、NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth/絵:Twemoji(CC BY 4.0)。国の範囲は国土数値情報(行政区域1920年)を加工したおおよその境界です。点・線・道筋の位置はおおよそです(狭山陣屋の位置は狭山池のそばのおおよその点)。家系図は代を省略した模式図です。氏規は氏康の四男とも五男とも伝わるため、本編では「氏康の息子・氏直の叔父」としています
VOICEVOX:青山龍星
効果音:効果音ラボ