西郷隆盛の息子はその後何になった(京都の2代目の市長)

日本史の地図のショート動画(2026-10-25 公開)の解説・出典は 2026-10-25 に確認

西郷隆盛の息子はその後何になった(京都の2代目の市長)(動画の最初の画面)

答え

1859年、西郷隆盛は奄美大島の龍郷村で暮らし、島の妻・愛加那との間に長男・菊次郎が生まれました。島での暮らしは3年で、西郷は鹿児島に呼び戻されます。菊次郎は8歳で鹿児島の西郷家に引き取られ、1877年の西南戦争では父の側で戦って右足を失ったと伝えられます。1895年に台湾へ渡り、北東部の宜蘭で今の県知事にあたる庁長を務めたのち、1904年に第2代京都市長に就任。琵琶湖の水を京都へ引く第2疏水・上水道・道路と市電の「三大事業」を進め、第2疏水は1908年着工・1912年完成、同年4月に蹴上浄水場から京都の水道が始まりました(京都市上下水道局)。

動画で見る(YouTube・約1分)

動画

動画で言ったことと、その根拠

動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。

1859年

根拠:「1859年、西郷は奄美大島の龍郷村に潜伏。」(yamato-segodon)

奄美大島の龍郷村に身を隠していた

根拠:「1859年、西郷は奄美大島の龍郷村に潜伏。」(yamato-segodon)

愛加那との間に生まれた長男が、菊次郎

根拠:「愛加那との間に菊次郎、菊草という2人の子宝を授かります。」(yamato-segodon)

長男が、菊次郎

根拠:「菊次郎は、西郷隆盛の長男として奄美大島で生まれた。」(台湾を変えた日本人シリーズ:宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎 | nippon.com)

島の妻

根拠:「のちに妻となる愛加那や島の人々との穏やかな日々を過ごし、」(yamato-segodon)

島での暮らしはわずか3年

根拠:「龍郷村での結婚生活は、わずか3年間でした。」(yamato-segodon)

西郷は鹿児島に呼び戻され

根拠:「その後、島津久光に召喚され、愛加那に別れを告げるまで、」(yamato-segodon)

島に残った

根拠:「島に残った愛加那は、後に西郷が徳之島に流された際に子供たちを連れて会いに行き、」(yamato-segodon)

菊次郎は8歳で、鹿児島の西郷の家に引き取られた

根拠:「1869年8歳のときに西郷本家に引き取られ、」(台湾を変えた日本人シリーズ:宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎 | nippon.com)

1877年

根拠:「(1828年1月23日 〜 1877年9月24日)」(西郷隆盛|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館)

西南戦争に敗れ、鹿児島で自刃した

根拠:「10年郷里の私学校生徒に促されて挙兵(西南戦争)するが、政府軍に敗北し、自刃した。」(西郷隆盛|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館)

鹿児島

根拠:「鹿児島県」(西郷隆盛|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館)

17歳の菊次郎も父と同じ薩摩軍で戦い、右足の膝から下を失ったと伝えられる

根拠:「17歳のとき西南戦争が勃発し、薩軍の一員として参戦するが、高瀬(熊本県玉名市)の戦いで一生義足を装着することになる銃創を右足に受け、膝下を切断した。」(台湾を変えた日本人シリーズ:宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎 | nippon.com)

1895年、日本が治める台湾へ、菊次郎は役人として渡る

根拠:「1895年4月に台湾が下関条約によって日本に割譲されると、菊次郎は台湾総督府参事官心得を命じられ台湾に赴任する。」(台湾を変えた日本人シリーズ:宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎 | nippon.com)

北東部の宜蘭という地域で、今の県知事にあたる長を務めた

根拠:「1897年台湾の北東部の現在の県知事に相当する宜蘭の初代庁長を拝命する。」(台湾を変えた日本人シリーズ:宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎 | nippon.com)

2代目の市長になった

根拠:「帰国して2年後の1904年10月12日、第2代京都市長に就任し7年余りを勤めたが、」(台湾を変えた日本人シリーズ:宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎 | nippon.com)

2代目の市長

根拠:「その構想は、第2代京都市長 西郷菊次郎へと引き継がれました。」(京都市上下水道局:琵琶湖疏水の歴史(4))

西郷隆盛の子と記す

根拠:「西郷市長(明治維新の英傑 西郷隆盛の子)」(京都市上下水道局:琵琶湖疏水の歴史(4))

琵琶湖の水を京都へ引く2本目の水路、水道、道路と路面電車

根拠:「西郷は、三大事業(第2琵琶湖疏水の建設・上水道の布設・道路拡築及び市電の敷設)の実現に向けて奔走しました。」(京都市上下水道局:琵琶湖疏水の歴史(4))

2本目の水路は1908年に着工し、1912年に完成

根拠:「第2疏水はその事業の中核として明治41(1908)年に着工し、明治45(1912)年に完成しました。」(京都市上下水道局:琵琶湖疏水の歴史(4))

同じ年の4月、蹴上の浄水場から京都の水道が始まった

根拠:「京都の水道は明治45(1912)年4月蹴上浄水場より給水を開始しましたが、」(京都市上下水道局:琵琶湖疏水の歴史(4))

父が島に来てから53年

根拠:「1859年、西郷は奄美大島の龍郷村に潜伏。」(yamato-segodon)

1904年

根拠:「帰国して2年後の1904年10月12日、第2代京都市長に就任し7年余りを勤めたが、」(台湾を変えた日本人シリーズ:宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎 | nippon.com)

出典

画像・音声の出典

肖像:出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地形:ASTER GDEM(NASA/METI、NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth。印・線の位置はおおよそ(線は移った先と向きを示すもので、実際の道のりではありません)。家系図は主な人だけです

VOICEVOX:青山龍星

効果音:効果音ラボ

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