大阪城の石垣は秀吉が積んだ?

答え
大阪城天守閣によると、いま見ることができる大阪城の石垣や堀は、すべて徳川時代以後のものです。豊臣秀吉が1583年に築き始めた大坂城は1615年の大坂夏の陣で落城し、1620年から徳川幕府が再築しました。そのとき秀吉の城は大量の盛り土で地中に埋められ、1959年と1984年の調査で地下の石垣が見つかりました。1984年に見つかった石垣は、2025年に開館した「大阪城 豊臣石垣館」で地中に降りて見ることができます。
動画で見る(YouTube・約1分)動画
動画で言ったことと、その根拠
動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。
今、見ることができる石垣や堀は、すべて、徳川の時代以後のもの
根拠:「いま見ることができる石垣や堀」(大阪城天守閣)
城を築き始めたのは、1583年
根拠:「天正11年 (1583)…羽柴(豊臣)秀吉が大坂築城を開始」(豊臣石垣館 | 大阪城天守閣)
1615年、大坂夏の陣で、城は落ちた
根拠:「慶長20年 (1615)…大坂夏の陣。大坂城落城」(豊臣石垣館 | 大阪城天守閣)
その5年後、1620年から、徳川幕府が、城を造り直した
根拠:「慶長20年 (1615)…元和 6年 (1620)…徳川幕府が大坂城再築を開始」(豊臣石垣館 | 大阪城天守閣)
大量の盛り土で、地中に埋めてしまった
根拠:「豊臣大坂城を大量の盛り土で地中に埋めてしまいました」(豊臣石垣館 | 大阪城天守閣)
豊臣家の権威を、消し去るかのように
根拠:「豊臣家の権威を消し去るかのように」(豊臣石垣館 | 大阪城天守閣)
一段低い場所でも、およそ6メートル
根拠:「中ノ段レベルでは約6mの盛り土をほどこし」(豊臣石垣館 | 大阪城天守閣)
見つかったのは、1959年。地質を調べるため
根拠:「昭和34(1959)年…上町台地の地質を調査するために行ったボーリング調査」(豊臣石垣コラム | 大阪城天守閣)
地下9.3メートルで、石垣らしい石に当たった
根拠:「地下約9.3mの位置から石垣と考えられる花崗岩が確認された」(豊臣石垣コラム | 大阪城天守閣)
石垣の上の端は、地下7.3メートル。高さは、4メートル以上
根拠:「地下7.3mの位置で石垣が発見されました。見つかった石垣は高さ4m以上あり」(豊臣石垣コラム | 大阪城天守閣)
1984年には、水道工事の調査で、地面から、わずか1.1メートルの所に、高さ約6メートルの石垣
根拠:「昭和59(1984)年に行われた「金蔵」東側の水道工事に伴う調査で、またもや地下石垣が見つかりました。…石垣の上端は地表下1.1mという浅いところにあり、石垣の高さは約6mありました。」(豊臣石垣コラム | 大阪城天守閣)
2025年にできた、豊臣石垣館で、地下に降りて、見ることができる
根拠:「地中に降りてご覧いただくことができます…令和 7年 (2025)」(豊臣石垣館 | 大阪城天守閣)
出典
- 大阪城天守閣 https://www.osakacastle.net/
- 大阪城天守閣「豊臣石垣館」https://www.osakacastle.net/toyotomi_stone_wall/
- 大阪城天守閣「豊臣石垣発見の経緯」https://www.osakacastle.net/toyotomi_stone_wall/column/
- 大阪城天守閣 豊臣石垣コラム Vol.89「大阪城の高さ色いろ」https://www.osakacastle.net/toyotomi_stone_wall/column/2401.html (2026年10月22日に確認)
画像・音声の出典
屏風:大坂冬の陣図屏風(模本)東京国立博物館所蔵 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-9274 )
断面の図は模式図(イメージ)で、高さ・位置は実際の比ではありません
衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地形:ASTER GDEM(NASA/METI、NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth。印の位置はおおよそ、府の塗りは今の府の形です
VOICEVOX:青山龍星
効果音:効果音ラボ