秀吉の弟・秀長はどこの殿様だった(奈良・郡山城と10年で主を失った100万石)

日本史の地図のショート動画(2026-10-25 公開)の解説・出典は 2026-10-25 に確認

秀吉の弟・秀長はどこの殿様だった(奈良・郡山城と10年で主を失った100万石)(動画の最初の画面)

答え

豊臣秀吉の弟・秀長は、1585年(天正13年)に大和・紀伊・和泉を任されて奈良の郡山城に入りました。今の奈良県と和歌山県に大阪の南を足した広さで、100万石ともいわれます(別の辞典では70万石余)。秀長は兄を支えて大和大納言と呼ばれましたが、1591年に郡山城で病死(52歳)。跡を継いだ養子の甥・秀保も1595年に17歳で亡くなり、城に入ってから10年で家は主を失いました。関ヶ原の戦いのあと郡山城は譜代大名の城になり、江戸時代は柳沢家15万石の城下町として栄え、天守台・石垣・堀が残る城跡は2022年に国の史跡に指定されました。

動画で見る(YouTube・約1分)

動画

動画で言ったことと、その根拠

動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。

秀吉の弟、秀長

根拠:「豊臣(とよとみ)秀吉の弟。」(羽柴秀長(ハシバヒデナガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1585年

根拠:「天正13年(1585)に豊臣秀長が入城し」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

大和に紀伊、和泉を任され

根拠:「大和郡山城主となり,紀伊,和泉,大和を領し」(羽柴秀長(ハシバヒデナガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

郡山城に入った

根拠:「天正13年(1585)に豊臣秀長が入城し畿内統治の拠点として大規模に整備が行われ」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

100万石ともいわれる

根拠:「同年閏8月大和・紀伊に和泉・伊賀の一部を加えた100万石を領し,大和郡山を居城とした。」(豊臣秀長(とよとみひでなが)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

城は奈良盆地の郡山

根拠:「奈良盆地の西ノ京丘陵南端に位置する近世城郭。」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

大きく造り直された

根拠:「畿内統治の拠点として大規模に整備が行われ」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

天守台のある本丸。内堀が囲み、その外に曲輪

根拠:「天守台のある本丸を中心に、毘沙門曲輪などの曲輪群、内堀、鷺堀などからなる。」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

石垣には、よそで使われていた石が多く混じる

根拠:「曲輪の周囲は石垣で築かれ、転用石材が多く用いられている。」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

兄を支え続け

根拠:「政権の中枢にあって秀吉を補佐した。」(羽柴秀長(ハシバヒデナガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

大和大納言と呼ばれた

根拠:「大和大納言と称された。」(羽柴秀長(ハシバヒデナガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

秀長は郡山城で病に倒れ

根拠:「天正(てんしょう)19年正月22日、郡山城で病死した。」(羽柴秀長(ハシバヒデナガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1591年

根拠:「[没]天正19(1591).1.22. 大和」(羽柴秀長(ハシバヒデナガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

52歳で亡くなった

根拠:「天正(てんしょう)19年1月22日死去。52歳。」(羽柴秀長(ハシバヒデナガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

跡を継いだのは甥の秀保

根拠:「翌年1月郡山城で病没。甥の秀保が跡を継いだ。」(豊臣秀長(とよとみひでなが)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

秀長の養子になっていた

根拠:「天正16年叔父羽柴秀長の養子となる。」(羽柴秀保(はしば ひでやす)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

17歳で亡くなる

根拠:「文禄4年4月16日死去。17歳。」(羽柴秀保(はしば ひでやす)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1595年

根拠:「羽柴秀保 1579-1595」(豊臣秀保(とよとみ ひでやす)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

わずか10年

根拠:「羽柴秀保 1579-1595」(豊臣秀保(とよとみ ひでやす)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

関ヶ原の戦いのあと、郡山城の主は徳川に仕える譜代の大名に変わった

根拠:「関ヶ原の戦い以後は譜代大名が城主となった。」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

柳沢家、15万石の城下町としてさかえた

根拠:「近世には柳沢氏15万石の城下町として栄えた。」(豊臣秀長(とよとみひでなが)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

柳沢家、15万石

根拠:「近世は柳沢氏15万石の城下町として繁栄」(大和郡山(ヤマトコオリヤマ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

2022年に国の史跡になった

根拠:「指定年月日:20221110…史跡名勝天然記念物」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

天守台と石垣、堀が残り

根拠:「天守台のある本丸を中心に、毘沙門曲輪などの曲輪群、内堀、鷺堀などからなる。曲輪の周囲は石垣で築かれ」(郡山城跡 文化遺産オンライン)

朝廷の高い位をもらって大和大納言と呼ばれた

根拠:「のち権(ごんの)大納言となり,大和大納言と称された。」(羽柴秀長(ハシバヒデナガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

出典

画像・音声の出典

絵図:国立国会図書館デジタルコレクション『日本古城絵図』第1帙 畿内之部 6「和州郡山城図」(https://dl.ndl.go.jp/pid/1286157 、パブリックドメイン)

肖像:豊臣秀吉肖像(伝狩野山楽、江戸時代)京都国立博物館所蔵、ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/A%E7%94%B251 )

衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地形:ASTER GDEM(NASA/METI、NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth/国の範囲は国土数値情報(行政区域1920年)を加工したおおよその境界(伊賀の一部は塗っていません)。印・線の位置はおおよそ。家系図は主な人だけです(秀長と秀吉は同じ母の兄弟=異父弟)。石高は辞典により100万石・70万石余と幅があります

VOICEVOX:青山龍星

効果音:効果音ラボ

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