江戸の島流しの島は全部いまの東京都|一番遠い八丈島は287km、流人1887人

答え
江戸時代の島流し(遠島)は、幕府の公事方御定書で死刑の次に重い罰とされ、江戸から流される人は大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島の「伊豆七島」へ送られました。今はすべて東京都です。一番遠い八丈島は東京から約287km。八丈島に最初に送られたとされるのは関ヶ原で敗れた宇喜多秀家(1606年)で、八丈島だけで1635年から明治4年までに1887人の流人が記録されています。
動画で見る(YouTube・約1分)動画
動画で言ったことと、その根拠
動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。
島が7つある
根拠:「右七嶋之内江遣」(archives-hachijo)
7つ
根拠:「右七嶋之内江遣」(archives-hachijo)
大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島
根拠:「三宅嶋・新嶋・神津嶋・御蔵嶋・利嶋右七嶋之内江遣」(archives-hachijo)
公事方御定書
根拠:「方御定書」で流罪についても確定したといわれ」(archives-hachijo)
死刑の次に重い罰
根拠:「死刑に次ぐ重刑で,刑期は無期。ただし赦によって免じられた。」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
伊豆七島と呼ばれた
根拠:「春秋2回大島・八丈島など伊豆(いず)七島に」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
約109キロ
根拠:「距離 109㎞」(tokyo-izu-gaiyou)
約287キロ
根拠:「距離 287㎞」(tokyo-izu-gaiyou)
東京から
根拠:「距離:都庁からのおよその距離」(tokyo-izu-gaiyou)
小伝馬町の牢に集められ
根拠:「美濃(みの)国以東の罪人は江戸小伝馬(こでんま)町の牢に集められ」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
小伝馬町の牢
根拠:「各奉行所で遠島を申し渡された場合、小伝馬町の牢屋敷で待機することになる」(archives-hachijo)
春と秋の年2回、船で島へ送られた
根拠:「春秋2回大島・八丈島など伊豆(いず)七島に」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
田畑も家も家財も没収
根拠:「田畑・家屋敷・家財が没収」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
期限はなく、赦しが出るまで
根拠:「刑期は無期。ただし赦によって免じられた」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
八丈島に送られた最初の流人とされる
根拠:「一般的には宇喜多秀家が八丈島へ流されたことが、大島以外の伊豆諸島へ」(archives-hachijo)
最初の流人
根拠:「八丈島流人第1号。」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)
関ヶ原で負けた大名、宇喜多秀家
根拠:「関ヶ原の戦いで敗れたため、慶長11(1606)年に八丈島に流され」(宇喜多秀家墓 - 八丈島の文化財 | 八丈町宇喜多秀家墓 – 八丈町公式サイト)
1606年
根拠:「慶長11年(1606年)流 明暦元年(1655年)没」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)
一行13人
根拠:「一行13名。」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)
1655年に島で亡くなった
根拠:「明暦元(1655)年に死去しました」(宇喜多秀家墓 - 八丈島の文化財 | 八丈町宇喜多秀家墓 – 八丈町公式サイト)
1635年から明治
根拠:「寛永 12 年 (1635) から明治」(archives-hachijo)
4年までに記録された流人は、1887人
根拠:「4年(1871)までの間に 1887 名の流人が記録され」(archives-hachijo)
287人が同時に島にいた
根拠:「最も多いときで 287 名(万延元年)が」(archives-hachijo)
1796年、大島など4つの島は流刑地から外され
根拠:「寛政8年 (1796) には、大島、利島、神津島、御蔵島の4島が流刑地を免除され」(archives-hachijo)
三宅島・八丈島・新島の3つだけ
根拠:「三宅島・八丈島・新島のみが流刑地となっている」(archives-hachijo)
島流しが終わるのは明治
根拠:「明治になっても遠島廃止となるまで」(archives-hachijo)
大赦で多くが赦されたが、漏れた人は
根拠:「大量の流人が赦免となった明治の大赦に洩れ」(archives-hachijo)
八丈島に残った
根拠:「た者たちも引き続き八丈島に滞在しており」(archives-hachijo)
東京府に入ったのは明治11年
根拠:「同11年1月11日に東京府に属して以来、東京都の今日に及んでいます」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)
49年
根拠:「慶長11年(1606年)流 明暦元年(1655年)没」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)
東京都の島になった
根拠:「東京府に属して以来、東京都の今日に及んでいます」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)
出典
- 東京都公文書館「調査研究年報 2019年 第5号:八丈島流人アーカイブズの概要調査報告」 https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0609r_report05_01.pdf (公事方御定書の七島の条文の引用、1796年の4島の免除、1635年〜明治4年の流人1887人・最多287人、明治の大赦)
- 八丈町「八丈島の歴史」 https://www.town.hachijo.tokyo.jp/gaiyo/history.html (宇喜多秀家 1606年流・1655年没・一行13名、明治11年に東京府へ)
- 八丈町「八丈島の文化財:宇喜多秀家墓」 https://www.town.hachijo.tokyo.jp/bunkazai/tokyo/shisekikyusekimeishotennen/ukitahideiehaka/
- 東京都「伊豆諸島・小笠原諸島の概況」(都庁からのおよその距離:大島109km・八丈島287km) https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/05gyousei/sinkou/takarajima/04_gaiyou.pdf
- コトバンク「遠島」(平凡社『改訂新版 世界大百科事典』『百科事典マイペディア』、ブリタニカ国際大百科事典:死刑に次ぐ重刑・刑期は無期・小伝馬町の牢から春秋2回・田畑家屋敷家財の没収) https://kotobank.jp/word/%E9%81%A0%E5%B3%B6-38293 (2026年10月27日に確認)
画像・音声の出典
絵葉書:「(八丈島風景)八丈富士ノ遠望」(部分)東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ(パブリックドメイン) https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000007-00251758
衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地形:ASTER GDEM(NASA/METI、NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth。島・航路・線の位置はおおよそです。距離は東京都の資料の「都庁からのおよその距離」です。「49年」は1606年から1655年までの年数、「3つ」は七島から4島を除いた数です
VOICEVOX:青山龍星
効果音:効果音ラボ