江戸の島流しの島は全部いまの東京都|一番遠い八丈島は287km、流人1887人

日本史の地図のショート動画(2026-10-27 公開)の解説・出典は 2026-10-27 に確認

江戸の島流しの島は全部いまの東京都|一番遠い八丈島は287km、流人1887人(動画の最初の画面)

答え

江戸時代の島流し(遠島)は、幕府の公事方御定書で死刑の次に重い罰とされ、江戸から流される人は大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島の「伊豆七島」へ送られました。今はすべて東京都です。一番遠い八丈島は東京から約287km。八丈島に最初に送られたとされるのは関ヶ原で敗れた宇喜多秀家(1606年)で、八丈島だけで1635年から明治4年までに1887人の流人が記録されています。

動画で見る(YouTube・約1分)

動画

動画で言ったことと、その根拠

動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。

島が7つある

根拠:「右七嶋之内江遣」(archives-hachijo)

7つ

根拠:「右七嶋之内江遣」(archives-hachijo)

大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島

根拠:「三宅嶋・新嶋・神津嶋・御蔵嶋・利嶋右七嶋之内江遣」(archives-hachijo)

公事方御定書

根拠:「方御定書」で流罪についても確定したといわれ」(archives-hachijo)

死刑の次に重い罰

根拠:「死刑に次ぐ重刑で,刑期は無期。ただし赦によって免じられた。」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

伊豆七島と呼ばれた

根拠:「春秋2回大島・八丈島など伊豆(いず)七島に」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

約109キロ

根拠:「距離 109㎞」(tokyo-izu-gaiyou)

約287キロ

根拠:「距離 287㎞」(tokyo-izu-gaiyou)

東京から

根拠:「距離:都庁からのおよその距離」(tokyo-izu-gaiyou)

小伝馬町の牢に集められ

根拠:「美濃(みの)国以東の罪人は江戸小伝馬(こでんま)町の牢に集められ」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

小伝馬町の牢

根拠:「各奉行所で遠島を申し渡された場合、小伝馬町の牢屋敷で待機することになる」(archives-hachijo)

春と秋の年2回、船で島へ送られた

根拠:「春秋2回大島・八丈島など伊豆(いず)七島に」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

田畑も家も家財も没収

根拠:「田畑・家屋敷・家財が没収」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

期限はなく、赦しが出るまで

根拠:「刑期は無期。ただし赦によって免じられた」(遠島(エントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

八丈島に送られた最初の流人とされる

根拠:「一般的には宇喜多秀家が八丈島へ流されたことが、大島以外の伊豆諸島へ」(archives-hachijo)

最初の流人

根拠:「八丈島流人第1号。」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)

関ヶ原で負けた大名、宇喜多秀家

根拠:「関ヶ原の戦いで敗れたため、慶長11(1606)年に八丈島に流され」(宇喜多秀家墓 - 八丈島の文化財 | 八丈町宇喜多秀家墓 – 八丈町公式サイト)

1606年

根拠:「慶長11年(1606年)流 明暦元年(1655年)没」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)

一行13人

根拠:「一行13名。」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)

1655年に島で亡くなった

根拠:「明暦元(1655)年に死去しました」(宇喜多秀家墓 - 八丈島の文化財 | 八丈町宇喜多秀家墓 – 八丈町公式サイト)

1635年から明治

根拠:「寛永 12 年 (1635) から明治」(archives-hachijo)

4年までに記録された流人は、1887人

根拠:「4年(1871)までの間に 1887 名の流人が記録され」(archives-hachijo)

287人が同時に島にいた

根拠:「最も多いときで 287 名(万延元年)が」(archives-hachijo)

1796年、大島など4つの島は流刑地から外され

根拠:「寛政8年 (1796) には、大島、利島、神津島、御蔵島の4島が流刑地を免除され」(archives-hachijo)

三宅島・八丈島・新島の3つだけ

根拠:「三宅島・八丈島・新島のみが流刑地となっている」(archives-hachijo)

島流しが終わるのは明治

根拠:「明治になっても遠島廃止となるまで」(archives-hachijo)

大赦で多くが赦されたが、漏れた人は

根拠:「大量の流人が赦免となった明治の大赦に洩れ」(archives-hachijo)

八丈島に残った

根拠:「た者たちも引き続き八丈島に滞在しており」(archives-hachijo)

東京府に入ったのは明治11年

根拠:「同11年1月11日に東京府に属して以来、東京都の今日に及んでいます」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)

49年

根拠:「慶長11年(1606年)流 明暦元年(1655年)没」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)

東京都の島になった

根拠:「東京府に属して以来、東京都の今日に及んでいます」(八丈島の歴史 – 八丈町公式サイト)

出典

画像・音声の出典

絵葉書:「(八丈島風景)八丈富士ノ遠望」(部分)東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ(パブリックドメイン) https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000007-00251758

衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地形:ASTER GDEM(NASA/METI、NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth。島・航路・線の位置はおおよそです。距離は東京都の資料の「都庁からのおよその距離」です。「49年」は1606年から1655年までの年数、「3つ」は七島から4島を除いた数です

VOICEVOX:青山龍星

効果音:効果音ラボ

日本史の地図のほかの解説

YouTube チャンネル「日本史の地図」