秀吉をまつった神社は、徳川に壊された

日本史の地図のショート動画(2026-11-07 公開)の解説・出典は 2026-11-07 に確認

秀吉をまつった神社は、徳川に壊された(動画の最初の画面)

答え

1598年に伏見城で亡くなった豊臣秀吉。なきがらは京都・東山の阿弥陀ヶ峰に葬られ、ふもとに神社が建てられて「豊国大明神」の名が与えられました。徳川家康らも参詣し、七回忌には盛大な祭礼が行われています。ところが1615年に豊臣家が滅ぶと、江戸幕府は社号を停止して社殿を破棄し(世界大百科事典)、跡は「太閤坦」と呼ばれる広場に。1868年に明治政府が再建を決め、1880年、方広寺大仏殿の跡(今の豊国神社)に再興されました。国宝の唐門は伏見城の遺構と伝えられます。

動画で見る(YouTube・約1分)

動画

動画で言ったことと、その根拠

動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。

秀吉は死んで、神様になった

根拠:「彼をまつるため山麓に創建され,翌年〈豊国大明神〉の神号と正一位の神位が宣下された」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

その神社は、徳川に壊された

根拠:「元和元年(一六一五)徳川氏により破壊され」(文化遺産データベース)

1598年、秀吉は伏見城で亡くなる

根拠:「1598年(慶長3)8月18日に死去した豊臣秀吉」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

伏見城で亡くなる

根拠:「伏見城で亡くなった秀吉は」(豊国神社宝物館 | ミュージアム検索 | 京博連)

死は、秘密にされた

根拠:「秀吉の死は極秘とされ」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

なきがらは遺言で、東山の阿弥陀ヶ峰へ

根拠:「その遺言により翌年東山阿弥陀峰(ひがしやまあみだみね)に埋葬され」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

ひそかに葬られたとされる

根拠:「秀吉の霊は伏見(ふしみ)城(現京都市伏見区)より阿弥陀ヶ峰に隠密裏に埋葬された」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

山のふもとに神社が建ち、秀吉は、豊国大明神という神様の名前をもらった

根拠:「彼をまつるため山麓に創建され,翌年〈豊国大明神〉の神号」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

すぐそばには、豊臣の大仏殿

根拠:「境内は,現在の方広寺・豊国神社・京都国立博物館の3か所を含む広大なもの」(都市史19 大仏殿)

豊臣の大仏殿

根拠:「豊臣秀吉が建てた方広寺大仏殿」(洛中洛外図屏風(舟木本)ColBase)

七回忌には、京都で盛大な祭りが開かれた

根拠:「とくに秀吉七回忌の1604年8月には,臨時祭礼が盛大に行われた」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1615年、大坂の陣で、豊臣家は滅ぶ

根拠:「豊国廟が,徳川氏により破壊 (1615) され」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

かつてお参りに来た家康

根拠:「徳川家康・毛利輝元らも参詣した」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

神社の名前を取り消し、建物を壊した

根拠:「江戸幕府は社号を停止し社殿を破棄した」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

神様の体は、近くの別の神社に預けられたとされる

根拠:「神体は近くの新日吉神宮に預けられた」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

跡は、太閤坦という広場になった

根拠:「その跡は太閤坦(たいこうだいら)と呼ばれる広場になっています」(都市史19 大仏殿)

それから250年あまり

根拠:「徳川氏により破壊 (1615) され…1868年(明治元)明治新政府は豊臣氏滅亡以後衰退した豊国廟を再建することとし」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

明治の新しい政府が、建て直しを決める

根拠:「1868年(明治1)維新政府は再建を決定」(豊国神社(トヨクニジンジャ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

1880年に完成した場所

根拠:「1880(明治13)年に方広寺大仏殿跡に再興された」(豊国神社宝物館 | ミュージアム検索 | 京博連)

秀吉の大仏殿の跡だった

根拠:「明治13(1880)年に旧大仏殿境内に社地を移し」(都市史19 大仏殿)

門は国宝の唐門

根拠:「国宝」(文化遺産データベース)

伏見城から来たと伝わる

根拠:「唐門は伏見城の遺構と伝え」(文化遺産データベース)

二条城、南禅寺の金地院と移り、明治の建て直しで、ここへ来たという

根拠:「最初二条城にあったのを金地院に移し、さらに明治時代の再建の際に現地に移したという」(文化遺産データベース)

南禅寺の金地院

根拠:「唐門(国宝)は南禅寺金地院から移され」(都市史19 大仏殿)

出典

画像・音声の出典

錦絵:月岡芳年「大日本名将鑑 豊臣秀吉公」「本朝智仁英勇鑑 徳川内大臣家康公」「大阪夏御陣御危難之図」(東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ)/芳年「月百姿 しつか嶽月 秀吉」・永島孟斎「大日本名家揃」(国立国会図書館デジタルコレクション)。錦絵は画家が描いた想像の姿です

屏風:洛中洛外図屏風(舟木本)岩佐又兵衛筆 東京国立博物館所蔵(出典:ColBase)

写真:Japanexperterna.se「Toyokuni Shrine Karamon」・KimonBerlin「Kyoto 5/9/18」・bethom33「DP2M6947」CC BY-SA 2.0(Flickr)

空中写真:国土地理院。印・線の位置はおおよそ

VOICEVOX:青山龍星

効果音:効果音ラボ

日本史の地図のほかの解説

YouTube チャンネル「日本史の地図」