伊達政宗は最期に妻・愛姫と会わなかった

日本史の地図のショート動画(2026-11-02 公開)の解説

伊達政宗は最期に妻・愛姫と会わなかった(動画の最初の画面)

答え

伊達政宗の正室・愛姫(めごひめ、のちの陽徳院)は、福島・三春の田村家の娘。12歳で政宗に嫁ぎ、1590年に人質として京都へ移ってからは、京都・伏見・大坂・江戸で暮らしました。1636年、政宗が江戸で病が重くなると、愛姫は会いたいと伝えますが、政宗は弱った姿を見せたくないと断り、二人は最期に会えなかったと伝わります。愛姫は17年後、政宗と同じ24日に86歳で亡くなり、棺は江戸から松島の陽徳院へ運ばれました。

出典:

・三春町「愛姫生誕450年記念事業」年表・読み物(豊臣から徳川の世へ/愛姫の暮らし/伊達政宗の死/愛姫の死)https://miharu-megohime.com/chronology/ https://miharu-megohime.com/read/

・コトバンク「陽徳院」(日本人名大辞典+Plus・日本歴史地名大系)https://kotobank.jp/word/%E9%99%BD%E5%BE%B3%E9%99%A2-1119146

・宮城県「指定文化財〈重要文化財〉陽徳院霊屋」https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bunkazai/02youtokuin.html

絵:錦絵「江戸勝景 桜田外の図」・楊洲周延「千代田之大奥」・芳年「皇国二十四功 秀吉」・尾形月耕「婦人風俗尽 花嫁」・広重「江戸名勝図会 桜田」国立国会図書館デジタルコレクション/刷物「伊達黄門政宗公像」・「奥州三春城内絵図」・「伏見城下絵図」東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ/栗原信充『肖像集』・広重「諸国名所百景 奥州松島真景」国立国会図書館デジタルコレクション

写真:瑞鳳殿 663highland(CC BY 2.5)/陽徳院霊屋 Tak1701d(CC BY-SA 3.0)Wikimedia Commons

地図:Natural Earth。道のりの線と位置はおおよそです。

VOICEVOX:青山龍星

効果音:効果音ラボ

動画で見る(YouTube・約1分)

動画

動画で言ったことと、その根拠

動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。

最期に、妻の愛姫と、会わなかった

根拠:「この間、愛姫は一度も政宗に会っていません。」(伊達政宗の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

妻は、会いたいと伝えていたのに

根拠:「愛姫が会いたいと伝えると、政宗は病気で弱った姿を見せたくないと拒絶しました」(伊達政宗の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

福島・三春の田村家から

根拠:「三春(みはる)城(福島県)城主田村清顕(きよあき)の娘」(陽徳院(ようとくいん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

12歳で嫁いだ

根拠:「天正7年(1579) 愛姫が伊達家に嫁ぐ。(政宗13歳、愛姫12歳)」(愛姫年表|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

京都へ移ってからの、愛姫の一生は、夫の国から、遠く離れたもの

根拠:「京都・大坂・江戸と遠方の地を転々とする人生を送ることとなります」(愛姫とは|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

秀吉の命令で、大名の妻と跡継ぎは、人質として、京都に住まわされた

根拠:「各大名の正室と嫡子を人質として京都に住まわせるよう命じました」(豊臣秀吉政権下の政宗と愛姫|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

京都に住まわされた

根拠:「天正18年(1590) 豊臣秀吉全国統一…愛姫、京都(聚楽第)へ移る」(愛姫年表|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

愛姫に初めての子が生まれたのは、嫁いで15年後

根拠:「愛姫は結婚15年で待望の第一子を産みます」(豊臣から徳川の世へ|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

やがて江戸へ

根拠:「慶長8年(1603) 徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く…愛姫、江戸へ移る」(愛姫年表|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

政宗とは別の建物に住み

根拠:「愛姫は、夫・政宗と別の建物で暮らし」(愛姫の暮らし|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

夫が正装で訪ねてくるのは、毎月1日、15日、28日と、節句の日だった

根拠:「毎月1日、15日、28日と各節句の日に、正装で愛姫の元を訪ねました」(愛姫の暮らし|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

江戸で病が重くなった

根拠:「体調不良をおして…回復せず」(伊達政宗の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

会って、いろいろ話す

根拠:「二、三日の内に会って色々話す」(伊達政宗の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

翌朝、政宗は亡くなった

根拠:「翌24日の日の出頃に政宗は亡くなり」(伊達政宗の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

86歳

根拠:「承応(じょうおう)2年1月24日死去。86歳。」(陽徳院(ようとくいん)とは? 意味や使い方 - コトバンク)

政宗の命日と同じ日にち

根拠:「政宗と同じ24日に終わって」(愛姫の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

毎月、夫と一緒に供養されたいと、願っていたと伝わる

根拠:「毎月一緒に供養されたいという陽徳院の願いが叶いました」(愛姫の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

棺は江戸を出て北へ。夫の国、松島の寺に葬られた

根拠:「棺は雲居和尚に導かれ、26日の夜明け前に…遺骸は陽徳院の後の丘に埋葬され」(愛姫の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

仙台で、暮らすことのないまま

根拠:「京都・大坂・江戸と遠方の地を転々とする人生」(愛姫とは|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

亡くなる前の日

根拠:「政宗は23日に愛姫の元へ」(伊達政宗の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

政宗の命日と同じ日にち

根拠:「翌24日の日の出頃に政宗は亡くなり」(伊達政宗の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

弱った姿を妻に、見せたくなかったと、伝わる

根拠:「政宗は病気で弱った姿を見せたくないと拒絶しました」(伊達政宗の死|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

関ヶ原の戦いでは、大坂から夫に、戦の様子を知らせたとされる

根拠:「この12月、愛姫は大坂で嫡男・虎菊丸を産みます…戦況を政宗に報告したようです」(豊臣から徳川の世へ|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

京都へ出てから

根拠:「愛姫、京都(聚楽第)へ移る」(愛姫年表|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

関ヶ原の戦い

根拠:「関ヶ原で東軍が勝つと」(豊臣から徳川の世へ|読み物|愛姫生誕450年記念事業|福島県田村郡三春町)

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