ナポレオンが2度送られた島(エルバ島とセントヘレナ島)

答え
ナポレオンは2度、島に送られました。1814年に退位させられて送られたのは、イタリア本土の港町ピオンビーノからわずか約10kmのエルバ島。小さな領主として299日を過ごしたあと、1815年2月に船で抜け出し、パリで皇帝に返り咲きます。しかし6月のワーテルローの戦いでイギリスとプロイセンの軍に完敗。身柄の扱いを任されたイギリスが選んだのは、南大西洋のセントヘレナ島でした。アンゴラから約1,860km、エルバ島のおよそ190倍の遠さです。島の高い所の見張りは約60マイル(約97km)先の船も見つけたといい、ヨーロッパの人がおよそ1,500人、一度に増えました。ナポレオンはロングウッドの館で暮らし、1821年5月に51歳で亡くなります。遺体は1840年にフランスへ返され、館と周りの土地は1858年にナポレオン3世がフランス政府の名で買い、今もフランスの持ち物です。
動画で見る(YouTube・約1分)動画
動画で言ったことと、その根拠
動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。
島に送られている
根拠:「ナポレオン・ボナパルトがエルバ島脱出ののちワーテルローの戦いで敗れると」(セントヘレナ - Wikipedia)
送られた
根拠:「この絶海の孤島に閉じ込めることにした」(セントヘレナ - Wikipedia)
自分で逃げ出した
根拠:「1815年、ナポレオンはエルバ島を脱出し」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
1814年、戦争に負けて、皇帝をやめさせられた
根拠:「1814年になると…無条件に退位させられ」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
イタリアの沖の、エルバ島
根拠:「地中海コルシカ島とイタリア本土の間にあるエルバ島の小領主として追放された」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
イタリア本土の港町から、わずか10キロの島
根拠:「10 km (6.2 mi) from the coastal town of Piombino on the Italian m」(Elba - Wikipedia)
小さな領主にされた
根拠:「エルバ島の小領主として追放された」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
299日後
根拠:「299日間を過ごした」(エルバ島 - Wikipedia)
1815年2月、船で島を抜け出した
根拠:「On 26 February 1815, when the British and French guard ships were absent, his tiny fleet」(Hundred Days - Wikipedia)
パリに戻り、もう一度、皇帝の座に返り咲いた
根拠:「苦労してパリに戻って復位を成し遂げる」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
ところが6月
根拠:「Battle of Waterloo (18 June)」(Hundred Days - Wikipedia)
イギリスとプロイセンの軍に、ワーテルローの戦いで完敗する
根拠:「イギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗し」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
身柄の扱いが、イギリスに任された
根拠:「ウィーン会議により身柄の扱いはイギリスに一任された」(セントヘレナ - Wikipedia)
南大西洋に、ぽつんと浮かぶ、セントヘレナ島
根拠:「セントヘレナは大西洋の中央部に位置し」(セントヘレナ - Wikipedia)
1815年10月、ナポレオンは、この島に着いた
根拠:「ナポレオンは1815年10月にセントヘレナに到着し」(セントヘレナ - Wikipedia)
アフリカのアンゴラからでも、1860キロ離れている
根拠:「The island is about 1,860 km (1,160 mi) west of Angola」(Saint Helena - Wikipedia)
島の高い所には見張りが置かれ、およそ100キロ先の船まで、見つけたという
根拠:「Telegraphs are placed upon the most commanding heights…no vessel can approach without being descried at the distance of sixty miles」(Napoleon ⋅ Saint Helena Island Info ⋅ About St Helena, in the South Atlantic Ocean)
ヨーロッパの人が、およそ1500人、一度に増えた
根拠:「received at once an influx of about 1,500 Europeans」(Napoleon ⋅ Saint Helena Island Info ⋅ About St Helena, in the South Atlantic Ocean)
島の中ほどにある、ロングウッドの館で暮らした
根拠:「島中央のロングウッド・ハウスに暮らした」(セントヘレナ - Wikipedia)
1821年5月、51歳で
根拠:「1821年5月5日(51歳没)」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
遺体がフランスに戻されたのは、1840年
根拠:「その遺体は1840年にフランスに返還され」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
館と土地は、今もフランスが持っている
根拠:「Longwood House and the lands around it…It is still French property」(Saint Helena - Wikipedia)
およそ190倍
根拠:「about 1,860 km (1,160 mi) west of Angola」(Saint Helena - Wikipedia)
この島で亡くなった
根拠:「51歳のとき、南大西洋の英領セントヘレナで没した」(ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia)
出典
- Saint Helena Island Info「Napoleon」https://www.sainthelenaisland.info/napoleon.htm
- Wikipedia「セントヘレナ島」https://ja.wikipedia.org/wiki/セントヘレナ島
- Wikipedia「ナポレオン・ボナパルト」https://ja.wikipedia.org/wiki/ナポレオン・ボナパルト
- Wikipedia「エルバ島」https://ja.wikipedia.org/wiki/エルバ島
- Wikipedia「Saint Helena」https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Helena
- Wikipedia「Elba」https://en.wikipedia.org/wiki/Elba
- Wikipedia「Hundred Days」https://en.wikipedia.org/wiki/Hundred_Days
画像・音声の出典
地図データ:Natural Earth/国旗: flag-icons (MIT)/絵: Twemoji (CC BY 4.0)
肖像画「ナポレオン・ボナパルト」(19世紀半ば、作者不詳)・デスマスク(F. アントンマルキ):メトロポリタン美術館 Open Access(CC0)
版画「Lower parade, James Town, St. Helena」(1841年)・G. サンダース「Napoleon's return from the Island of Elba」・N. カリアー「Battle of Waterloo」:米国議会図書館(No known restrictions on publication)
写真「Longwood House le 12 janvier 2008」Michel Dancoisne-Martineau:Wikimedia Commons(CC0)
写真「Jamestown, St Helena」Andrew Neaum:Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:St-Helena-Jamestown-from-above.jpg
写真「View to the north from High Knoll Fort」Kevstan:Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:View_to_the_north_from_High_Knoll_Fort.jpg
船と道の線はおおよそです。「約190倍」は 1,860km ÷ 10km から計算しました。
VOICEVOX:玄野武宏
効果音:効果音ラボ