ローマで貴族になった仙台藩の侍(支倉常長)

答え
仙台藩の侍・支倉常長は1613年、伊達政宗の命令で今の宮城県石巻市の月浦から出航。3か月後にメキシコのアカプルコに着き、約30人で大西洋を渡ってスペイン国王に会い、1615年11月にローマで教皇パウロ5世に会いました。ローマでは貴族の位と市民権を与えられましたが、メキシコとの貿易などの願いはかなわず、マニラを経て1620年に帰国。日本では全国でキリスト教が禁じられ、持ち帰った品は息子の代に藩に没収されて、使節のことは約250年忘れられました。1873年、岩倉使節団がヴェネツィアで常長の書状を見つけ、持ち帰った品は2001年に歴史資料として初めて国宝になりました。
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動画で言ったことと、その根拠
動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。
ローマで貴族になった侍
根拠:「常長は貴族の位を与えれられ」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
仙台藩の、支倉常長
根拠:「仙台藩の侍が藩主伊達政宗の命令で」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(目次)|仙台市博物館)
伊達政宗の命令で、海を渡った
根拠:「藩主伊達政宗の命令で太平洋と大西洋を渡り」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(目次)|仙台市博物館)
1613年
根拠:「月浦を1613年10月28日」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(2)|仙台市博物館)
石巻市の月の浦
根拠:「月の浦(宮城県石巻市)」(キッズコーナー(支倉常長と慶長遣欧使節)|仙台市博物館)
180人あまり
根拠:「総勢180人あまり」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(2)|仙台市博物館)
3か月後に着いたのは、メキシコのアカプルコ
根拠:「日本を出て3か月後にメキシコのアカプルコに到着」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(2)|仙台市博物館)
大部分はメキシコに残り
根拠:「大部分の人々はメキシコにとどまりました」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(2)|仙台市博物館)
約30人が、大西洋を渡った
根拠:「使節団約30名は、1614年6月10日、スペイン艦隊に便乗して大西洋を渡る」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(2)|仙台市博物館)
1615年、スペイン国王に会い、政宗の手紙を渡した
根拠:「1615年1月30日、ついに常長はスペイン国王フェリペ3世に会いました。その場で政宗の手紙を渡し」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(2)|仙台市博物館)
11月にはローマで
根拠:「11月3日にはローマ教皇パウロ五世に会いました」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
今もバチカン図書館にある
根拠:「現在もヴァチカン図書館に保管されています」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
メキシコとの貿易
根拠:「フランシスコ会修道士の派遣とメキシコとの貿易」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
市民権を与えた
根拠:「8名にローマ市の市民権が授与されました」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
サンダイ、つまり仙台の文字
根拠:「「SANDAI(仙台)」」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
1617年、常長はヨーロッパを離れた
根拠:「1617年7月4日、返書を得ることもなく、追われるようにヨーロッパを離れ」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(4)|仙台市博物館)
マニラで2年を過ごし
根拠:「常長は結局2年間マニラに滞在することになりました」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(4)|仙台市博物館)
仙台に戻ったのは1620年
根拠:「仙台に帰ってきたのは、1620年9月」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(4)|仙台市博物館)
7年がたっていた
根拠:「実に7年の月日が過ぎていました」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(4)|仙台市博物館)
全国で、キリスト教を禁じていた
根拠:「全国に禁教令を出してキリスト教信者への弾圧を始めます」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(5)|仙台市博物館)
息子の代に藩に取り上げられ、隠された
根拠:「息子常頼の代にキリシタンに関わるものとして藩に没収され、決して表へ出ないように厳重に保管されました」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(5)|仙台市博物館)
十字架や証書
根拠:「十字架像及びメダイ3ロ」(指定文化財〈国宝〉慶長遣欧使節関係資料 - 宮城県公式ウェブサイト)
250年も忘れられた
根拠:「250年ものあいだ、慶長遣欧使節の存在は忘れ去られてしまった」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(5)|仙台市博物館)
1873年、岩倉使節団が、ヴェネツィアで常長の手紙を見つける
根拠:「1873年(明治6)に明治政府がヨーロッパとアメリカに派遣した岩倉具視らの使節団によって、訪問先のイタリア(ヴェネツィア)で常長の書状が発見され」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(5)|仙台市博物館)
歴史資料で初めての、国宝
根拠:「2001年(平成13)に歴史資料として初めて国宝に指定されました」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(5)|仙台市博物館)
400年前
根拠:「今からおよそ400年前」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(目次)|仙台市博物館)
教皇パウロ5世に会う
根拠:「常長がローマで謁見したローマ教皇パウロ5世」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
修道士を送ってもらう
根拠:「フランシスコ会修道士の派遣」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
常長の人柄をたたえ
根拠:「常長の高潔な人柄がほめたたえられ」(主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(3)|仙台市博物館)
出典
- 仙台市博物館「支倉常長に関する資料」https://www.city.sendai.jp/museum/shuzohin/shuzohin/shuzohin-22.html ((1)〜(7))
- 仙台市博物館 キッズコーナー「支倉常長と慶長遣欧使節」https://www.city.sendai.jp/museum/kidscorner/kids-08/kidscorner-02/index.html
- 宮城県「国宝 慶長遣欧使節関係資料」https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bunkazai/01tunenaga.html
画像・音声の出典
画像
・版画: ラファエル・サデラー2世「支倉常長の肖像」1615 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
・絵: ニコラス・デ・カルドナ『インディアスの地理・水路誌』1632 スペイン国立図書館 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
・版画: 「支倉常長とソテロ、パウロ5世に謁見」1615頃 / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
・写真: 「伊達政宗からパオロ5世あての手紙の写真」東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ(パブリックドメイン)
・写真: 「パウロ5世のメダル」1617 メトロポリタン美術館(CC0)
・「支倉常長ローマ市民権証書」1615(部分の赤い丸は加筆)・「支倉家の十字架とメダル」/ Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
・写真: 岩倉使節団(1872)/ Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth/国旗: flag-icons (MIT)/絵: Twemoji (CC BY 4.0)
地図の航路の線はおおよそです。
VOICEVOX:玄野武宏
効果音:効果音ラボ