14歳で漂流しアメリカで学んだ土佐の漁師(ジョン万次郎)

地理のなぜのショート動画(2026-10-27 公開)の解説

14歳で漂流しアメリカで学んだ土佐の漁師(ジョン万次郎)(動画の最初の画面)

答え

ジョン万次郎(中浜万次郎)は1841年、14歳のとき足摺岬の沖で遭難し、7日間流されて無人島の鳥島に漂着。143日後にアメリカの捕鯨船に救われ、仲間4人はハワイで降りましたが、万次郎は船に残ってマサチューセッツ州フェアヘーブンへ。船長の養子になり学校で航海術などを学びました。ゴールドラッシュのカリフォルニアで帰国の資金を作り、1851年に琉球(今の沖縄)に上陸。薩摩や長崎で尋問を受け、土佐に帰れたのは翌1852年。1853年、ペリーが浦賀に来た同じ年に江戸へ呼ばれ、幕府の直参となり、1860年には咸臨丸の通訳としてアメリカへ。1870年には約20年ぶりにフェアヘーブンを訪ね、恩人の船長と再会しています。土佐清水市によると、2028年の大河ドラマは万次郎が主人公です。

動画で見る(YouTube・約1分)

動画

動画で言ったことと、その根拠

動画の一文ごとに、確かめた資料の原文の該当箇所を引用しています。

14歳で漂流して

根拠:「天保12年(1841年)14歳だった万次郎は仲間と共に漁に出て遭難。数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着します。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

アメリカで学んで帰ってきた、漁師がいる

根拠:「ジョン万次郎こと中浜万次郎は、文政10年(1827年)1月1日に土佐の中浜、今の高知県土佐清水市中浜で貧しい漁師の次男として生まれました。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

土佐の中浜、今の高知県土佐清水市の、貧しい漁師の次男、万次郎だ

根拠:「ジョン万次郎こと中浜万次郎は、文政10年(1827年)1月1日に土佐の中浜、今の高知県土佐清水市中浜で貧しい漁師の次男として生まれました。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

1841年、14歳のとき

根拠:「天保12年(1841年)14歳だった万次郎は仲間と共に漁に出て遭難。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

足摺岬の沖で、仲間と漁の途中に遭難した

根拠:「宇佐浦の漁船(船頭筆之丞他4名)のかしぎとなり、正月5日足摺岬でのアジ、サバ漁中に漂流(7日間)。九死に一生を得て、南海の孤島・鳥島に漂着します。」(ジョン万次郎・年表)

7日間流されて着いたのは、太平洋の無人島、鳥島だった

根拠:「宇佐浦の漁船(船頭筆之丞他4名)のかしぎとなり、正月5日足摺岬でのアジ、サバ漁中に漂流(7日間)。九死に一生を得て、南海の孤島・鳥島に漂着します。」(ジョン万次郎・年表)

仲間と生きのびること、143日

根拠:「漂着から143日後、万次郎は仲間と共にアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって助けられます。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

助けたのは、アメリカの捕鯨船だった

根拠:「漂着から143日後、万次郎は仲間と共にアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって助けられます。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

船はまずハワイへ向かった。仲間4人は、ここで降りた

根拠:「ジョン・ハウランド号の船長ホイットフィールドは、万次郎を除く4人を安全なハワイに降ろしましたが万次郎の事を気に入った船長は、アメリカへ連れて行きたいと思い万次郎に意志を問いました。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

だが船長は万次郎を気に入った

根拠:「ジョン・ハウランド号の船長ホイットフィールドは、万次郎を除く4人を安全なハワイに降ろしましたが万次郎の事を気に入った船長は、アメリカへ連れて行きたいと思い万次郎に意志を問いました。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

15歳の万次郎は、船に残ることを決めた

根拠:「【15歳】…仲間とハワイで別れ、船に残りアメリカに渡ることを決心。」(ジョン万次郎・年表)

ホノルルを出て1年4か月。着いたのは、マサチューセッツ州、フェアヘーブンだ

根拠:「仲間と別れ、ホノルルを出帆してから1年4カ月。万次郎は船長の故郷マサチューセッツ州・フェアヘーブンに寄港。」(ジョン万次郎・年表)

船長の養子になり、学校で英語や数学、航海術を、首席になるほど熱心に学んだ

根拠:「アメリカに渡った万次郎はホイットフィールド船長の養子となり、マサチューセッツ州フェアヘーブンで共に暮らしました。学校で、英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学びました。万次郎は首席になるほど熱心に勉学に励みました。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

やがて日本へ帰ると決め

根拠:「卒業後は捕鯨船に乗り、数年の航海を経た後日本に帰国することを決意。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

お金のために向かったのは、ゴールドラッシュのカリフォルニアだった

根拠:「帰国資金を得るために万次郎が向かったのは、ゴールドラッシュの起こっていたカリフォルニア。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

約7か月でサンフランシスコに着き、金鉱で3か月ほど働いた

根拠:「出発から約7カ月後サンフランシスコに到着。 金鉱で3カ月程働く。」(ジョン万次郎・年表)

そのお金でボートを買い

根拠:「金鉱で得た資金で上陸用ボートを購入し、帰国準備を整えると仲間と共にホノルルを出発。」(ジョン万次郎・年表)

1851年、仲間と琉球、今の沖縄に上陸した

根拠:「嘉永4年(1851年)薩摩藩領の琉球(現:沖縄県)に万次郎は上陸します。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

アメリカを知る男を、幕府は必要としていた

根拠:「この異例の出世の背景には、ペリー来航によりアメリカの情報を必要としていた幕府がありました。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

1860年、咸臨丸の通訳として

根拠:「1860年…「咸臨丸」に通訳、技術指導員として乗り込む。」(ジョン万次郎・年表)

勝海舟や福沢諭吉とアメリカへ渡った

根拠:「この艦には、艦長である勝海舟をはじめ、福沢諭吉といった人物の姿もあった。」(ジョン万次郎・年表)

1870年には約20年ぶりにフェアヘーブンを訪ね、恩人の船長と再会した

根拠:「明治3年(1870年)、普仏戦争視察団としてヨーロッパへ派遣されます。ニューヨークに滞在したときに、フェアヘーブンに足を運んだ万次郎は約20年ぶりに恩人であるホイットフィールド船長に再会を果たしました。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

2028年の大河ドラマは、この万次郎が主人公に決まっている

根拠:「本市中浜出身の偉人、「ジョン万次郎」こと中濱万次郎を主人公とする令和10年大河ドラマの制作が決定しました。」(「ジョン万」推進室 - 土佐清水市)

薩摩や長崎で尋問を受け

根拠:「万次郎達は番所で尋問後に薩摩本土に送られ、薩摩藩や長崎奉行所などで長期に渡っての尋問を受けました。」(ジョン万次郎の生涯 – ジョン万次郎資料館公式サイト)

土佐に帰れたのは翌1852年だった

根拠:「1852年…土佐への帰国。」(ジョン万次郎・年表)

1853年、ペリーが浦賀に来た

根拠:「1853年…ペリーが浦賀に来航」(ジョン万次郎・年表)

同じ年、万次郎は江戸に呼ばれ、幕府の直参になった

根拠:「1853年…幕府に招聘され江戸へ。直参旗本に。」(ジョン万次郎・年表)

出典

画像・音声の出典

衛星画像:NASA Blue Marble(NASA GIBS)/地図データ:Natural Earth/国旗: flag-icons (MIT)/絵: Twemoji (CC BY 4.0)

地図の航路の線はおおよそです(資料館の航路図の経由地を結んだもの)。捕鯨船の名は資料によって異なるため省いています。

VOICEVOX:玄野武宏

効果音:効果音ラボ

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